つらいとき、つらいと言えたら、いいのにな~

Aqua Timezの「決意の朝」より。

つらいとき、いろんな曲を聴きながら、励みにして頑張ってきましたが、一番脳内再生されているのはこの曲のこのフレーズでしょう。

「つらいとき、つらいと言えたら、いいのにな。」

 

私はツッコミを入れたくなります。

つらいっていうだけなら、強がりでも弱虫な僕でも言えるんや!言えるけどだれも聞いてないんや!それがむなしいんじゃ!と。

 

この歌詞は「つらいとき、(この私を助けてくれそうな人に)つらいと言えたら、いいのにな。」が隠れていて、つまり「つらいとき、つらいと伝えられたら、いいのにな。」じゃないかなと私は思います。

それと、そのあとに「できたら応援か支援をください。」を付け加えたいです。

 

でも、こんな気持ち誰に伝えたらいいんだろう。

伝えたところで、助けてくれる人は誰だろうな。

みんな用事あって、私のこと気にかけてくれる人はいても、助けるまではしてくれないだろうな。

そもそもこのつらさは、自分のものだから、だれかに頼ったところで解決はしないんだよな。

助けてくれる人がいないなら、伝える必要ないよな。

・・・でも、つらい。

つらいの分かってほしい。

メンヘラとか思われるのかな。

・・・かまってちゃんって思われてもいいから、伝えたい。

みたいな堂々巡りですわ。

 

結局twitterにつぶやいて、だれからもリプ来ない。

まあそりゃみんな忙しいよね。ああ、つらい。

 まあ、いいんですけど、構ってもらわなくても・・・。

 

たとえ「大丈夫?」ってリプ来ても、

「大丈夫だよ。」って強がっちゃうんですよ。

だから、聞いてくれたらそれでいいんだよね、結局。

 

その後に続く「僕達は強がって笑う弱虫だ」も気になる歌詞だよね。

強がって笑ってるのに弱虫だなんて。

 

小学生のとき体育でサッカーしててね、かわいい子がボールぶつけられたら、みんな寄って集って心配するのに、私にボールぶつかっても、ぶつけた男子さえ謝ってこないときあったなぁ。

友だちは気を使ってくれたけど、私はたくましい系女子だったから、笑って大丈夫って言った。

私だって痛かったけど、泣かなかった。泣いたら弱虫だと思われるから。(それと私が泣いたところで助けてもらえるルックスではないから。)

 

こうやって男に媚びるとか、他人に弱みを見せるということをしないで生きてきた私にとって、強がってる人が弱虫だなんて言われるのは心外だった。「できな~い」ってくねくねしてる女子の方が弱虫じゃねえか!その謎を抱えたまま、負けず嫌いで頑張る女子で生きてきた。

 

でも最近思ったのは、本当につらいときにつらいと言えないことは、周りにさらに迷惑をかけることになるということだ。

つらいって、友達や家族に相談できない人は、つらいって思っている自分がダメなんだと思ってしまう。だからつらさに気づかないように自分の欲を無にする。そうしてただただ耐えて、ある日体にガタが来ちゃう。

私はそうなりかけたことがあるので、本当につらいとき、つらいって言えることは大切だなあと思った。また自分の家族や友達は、そうしたことを相談できる大切な人たちだと認識したので、これからはどんどん頼っていきたいと思った。

 

結局、強がって笑うのが弱虫かどうかなんて分からなかったけど、歌詞の最後の方に「僕が僕として生きてきた証にして」とあったので、うまくまとまってんなあ、と思いました。

どんなことがあっても、結局は人生の教訓になるのよ!あとで酒の肴になるからね!って感じでね。

 

 個人的にですが、

「大丈夫?」って聞かれても「大丈夫!」って答えちゃう強がり女子には、

「大丈夫じゃねぇだろ。無理すんなよ。俺を頼れ!」みたいな強引な対応してほしいです。(なんてわがままな。)

 

 個人的にですが2、

「つらいときつらいって言える?だってさ、つらいときにつらいって言ってたら、つらいって発した言葉によって、脳が今つらい状況ですって認識して、もっとつらくなるから、私はつらくても限界までつらいって言わないんだ。」

 って友達に熱弁したら、

「つらいって言い過ぎ!笑」

と一蹴されてしまいました笑。

 

だから私は、つらいときに「つらいとき、つらいと言えたら、いいのにな。」って歌詞が思い浮かぶと、それと同時に、そういえば友達に「つらい言い過ぎ!」って一蹴されたなあって思い出して、ひとりでにやにやしてます。