読書感想文も今なら書けそう
夏休みの宿題や作文コンクールのために何度か読書感想文を書く機会がありましたが、とっても苦手でした。
なんで苦手だったかを考察しつつ、過去の自分へ向けて応援メッセージを書きたいと思います。
私が文章書くことが嫌いだった理由
文章を書くこと自体も苦手でした。
小学校の頃の日記でさえ、書いた作文はチェックされ、直され(主に母親)、本当に正直なことは書けませんでした。
私の小二くらいときの週末の日記。
「自分で卵焼きを作りました。卵を割ったときに、卵をひとつ床に落として割ってしまいました。両親にバレないように、床をきれいに掃除しました。卵焼きは味がしませんでした。」
床掃除までするなんて、なんていい子なんでしょう。この日記は両親にのぞかれるなんて1ミリも考えずに書いた日記でした。
しかし、日曜の夜9時くらいにバレました。こっちは日曜日の楽しいテレビを見ていたときに、「書き直しなさーい!」と怒られました。
それだけでも嫌な気分なのに、卵を落としたことも怒られた。両親にバレないようにと書いたことが、嘘を隠す悪い子って思われるからやめなさいと怒られた。正直に書いただけなのに、なんでこんなに言われなきゃいけないんだろう・・・と悶々といてました。
マスタイプの日記帳だったので、直すべき文のところまで全部消しゴムで消しました。筆圧が強かったので、日記帳のそのページは破れる寸前まで薄くなり、表面はザラザラになりました。消した上から、母に半分指示されるがままに、何とか日記を書き終えました。
そのころから、日記に何を書いていいのか分からず、日記を半泣きになりながら日曜日の夜に書いていた記憶があります。
下手なことは書いてはいけないという家庭で育ってしまいました。両親の日記のチェックがなくなる頃になっても、下手なことは書いてはいけない、と自分自身に暗示をかけていました。この暗示こそが、私が文章を書くのが嫌いになってしまった原因ではないかと思いました。
様々な文章に触れてみて
文を書くのが苦手だったので、ついつい国語も嫌いになってました。国語が苦手という意識からか、本を読むことも避けるようになっていました。
本を読まない私が読む文章といえば、国語の文章題や教科書だけです。そんな完成された文章ばかりを読んでいると、やっぱり書ける人は選ばれた人なんだな、私には書く才能も国語の才能もないや、って勝手に思ってました。
しかし、大学生になり、スマホを持ち始め、twitterを始めて、最近はブログを始めるようになると、文章の定義が自分の中で変わっていきました。
文章って長く書く必要ないんだな、短くても適切に伝わるように書いたらいいんだな、というのがtwitterを始めてみて感じたことです。今までは原稿用紙指定されていたので、いかに文字数を埋められるかを考えていて、起承転結なんて後回しでした。結果、起承転結のどこかが異様に長い文章を書いていました。
今度はブログを始めてみて、いろんな方の思いの丈を語った文章を読んでみて、こんなに自由でいいんだ!しかも形式的な文章じゃない自由な語り口のおかげで、とても暑いものが伝わってくるぜ!って思いました。ブロガーにとっては当たり前かもしれないけど、私からしてみたら、何をネタに書いても良いし、個人のスタイルで文章書いちゃっていいんだな、と感動しました。
実際自分も書いてみたら、さらーっと長い文章(当社比)が書けちゃって、驚きました。下書きに保存してありますが。
読書感想文の苦手な理由推考
私自身、読書感想文はとても苦手でした。参考にしようと、うまいと言われる読書感想文を読んでみたり、ブロガーの読書感想文を読んでみたりして、うまい人って、その人なりのストーリーに落とし込んでるなと感じました。その人なりのストーリーに落とし込まれるからこそ、読んでるこっちもなんかワクワクするのかも。これがうまい読書感想文のコツなのかな、と思います。
読書感想文の書き方って、習ってないけど、読んで字のごとく「本を読んで感じたこと、考えたことを書いてください。」ですよね。これを真に受けた小学生の感想文は
「へぇー」の一言に尽きます。
(あくまでこれは私の体験談です。)
のんきに遊んでいた私にとって、読書感想文用に読んだ本に対して抱く感想は、「こんな出来事があったんだねー、かわいそうねー」ぐらいで、いざ原稿用紙に向かっても何も書けませんでした。
また人間関係に悩む主人公の本を読んで、自分の体験とリンクしてすごく考えさせられる文章を読んでも、こんなこと書いていいのかな・・・となかなか筆が進まないことがありました。
私なりに考える、小中学生が読書感想文を書けない理由をまとめました。
①そのような体験をリアルにしたことがないから。
②感情をちょうどよくきれいに表せる言葉が少ないから。
③リンクする体験があったとしても、先生やクラスメートに読まれるかもしれないことを考えると、書きにくい内容であるから。
小さい頃の読書感想文が苦手なのは、本の内容とそれにリンクする自分の体験がないからかもしれない。リンクする体験がないからこそ感想は「へぇ〜」の一言に尽きます。
それと感情をきれいに表せる言葉が少ないからかもしれない。自分も読書感想文書きながら、何回「~で、かわいそうと思った。」「~でびっくりした。」を繰り返してんねん!って思ったことか。
「感想+それに対して自分がどうしようと考えたのか」を書けばよかったなと思います。どうしようと考えたのかを具体的に書くことで、文字数が稼げます。
もし本の内容にリンクする出来事があっても、書きにくい内容なのではないかもしれない。大人だったら、私にはこんな過去がありました、と語れる過去は誰でも持っている。しかも、その過去は小学校、中学校での出来事で、過去の自分を知る人はいない状況であるから語れるものです。
小中学生の過去とはつい最近のことであり、その時のことを知っている同級生も多いです。小中学生における過去って、ほぼ今に直結してますからね。
匿名でかけるならまだしも、こういう体験をしてそのとき自分がこう思った、を紹介するとなると、つい最近の出来事すぎて、正直な黒い感情はなかなか書けないと思います。自分の名前が作文に書かれているし、その当時の友達はあの子だから、きっとあの子との出来事だったんだろう、なんて担任に予想されちゃいます。先生に読まれることを想像すると、悪い子に思われたくなくて、比人道的な感情や考えは書けないと思います。
読書感想文に指定されてる本って、たいてい主人公につらい出来事があるけど乗り越える物語が多いから、自分のストーリーに落とし込むにはつらかった思い出を書かなきゃなりません。部活でレギュラーを勝ち取るなど、つらかったけど、努力して乗り越えられた場合は良いけど、いじめとかスクールカーストでの人間関係とか努力しても変わらなかったものに関しては、何とも書きにくいものです。読書感想文で過去の嫌な思い出をつづるもの、十分に時がたってからではないとしたくありません。
読書感想文は、本を読んでみて、自分が感じたこと考えたことを思い出して書いた日記である、と伝えてくれたらもう少し書きやすかったのかもしれません。
読書感想文を書くのにふさわしい本を選べるように、あらすじを紹介した上で、自分と同じような環境や考え方の主人公が出てくる本を、題材にするように指導してくれたらもっと書きやすかったのかもしれません。
いい子ちゃんである必要はない、何を思っても何を書いても自由なんだ、と言う考えが自分にあれば、もっとすらすらと書けたのかもしれません。
読書感想文は廃止すべき?
読書感想文のせいで、読書が嫌いになるなんて叫ばれてますが、「読書感想文→読書が嫌いになる」という命題は成り立たちません。読書が好きか嫌いかは、その人次第で、成長するにつれて変わるものです。自分自身も読書は、おもしろいシリーズがあるときや、あの作家さんの本だけは!というときしか読んでません。
逆に、読書感想文を書くことで読書が好きになりました、というのは私の周りでは聞いたことがない。しかしこれは、先生や親の指導の仕方ではあり得ると思います。
読書感想文に、「この部分を読んでこう思いました、考えました。」と書いてある部分に対して、「この着眼点や考え方はおもしろいです。これからも独自の鋭い視点で、本を読んで、いい本があったら先生に教えてください。ついでにどの部分にどう感じたかも教えてください。」なんて書いてあったら、もっと本を読みたくなるんじゃないかと思います。
もちろん、本を読んでみて、どの場面で、どう考えたかを教えてください、という指導があってのもとです。
廃止すべきか?と聞かれたら、廃止してほしいです、が正直な意見です。本を読書感想文のためにしか読まない子にとっては、興味のない本を読んでさらに文章化するのは苦痛です。本をよく読む子にとっては、読書感想文が、本の中のどの場面で、どう感じたか、自分はどう考えたかを伝えるために書く日記あるいは意見文だと伝えておけば、書きたい子は書くはずです。
だからやっぱり選択制にしましょう。それと原稿用紙で指定するんじゃなくて、あらすじと印象に残った場面、その場面で自分が感じたこと思ったこと、と項目を分けて、文字数指定なしで書かせるようにしたらいいのではないかと思います。
あのころの自分へ
あらすじでも感想でも、考えたことでも、どんな小さなことでも何書いてもいいんだよ。評価なんていいのさ。早く宿題終わらせて、寝る方がずっと大事。
読書感想文は、自分の体験に落とし込むんだ。自分の体験をつらつらと書いて文字数稼ぎ。本を読んだときにも感じることもあるかもしれないけど、書いてみて考えが変わることもある。くだらないって思うかもしれないけど、自分がそのことにどう感じたか、小さいことでもいいから、書いてみる。そうやって一気に手を動かしてみた文書って、結構自分なりにいい文章だったりする。そういう風に書いてみると気持ちいい。
そもそも、読書感想文の書き方をきちんと教えてくれてないなら、どれがいい読書感想文かなんて、先生の主観でしかない。正解なんてない。自分の考えを伝えられるように書けたら、たぶんそれでいい。自分の考えだって、くだらない小さなことでもかまわない。ありきたりなこと書いたってつまらないから、自分の考えたこと自由に書いちゃっていいんだよ。
評価は気にするな。書き上げることに意味がある。作文コンクールに出せるくらいのいい文章は書く必要ないし、もし内容がいい作文だったら先生が結局書き直しを手伝ってくるから。
読書感想文今なら書けそうって言ったけど、やっぱり書きたくない笑。そんな労力残ってないな。論文読むので精一杯な院生でした。